真実の愛とは?徹底的に考えてみてわかったこと 5選

真実の愛とは?徹底的に考えてみてわかったこと 5選

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「真実の愛」あなたはそれが何だか知っていますか?愛にも色々な形があり、真実の愛を決めるものなんて存在しないのかもしれません。「真実の愛」これは人類の深いテーマの一つでもあります。現に「真実の愛」をテーマにした芸術作品はたくさんあります。今回は真実の愛とは何か考えてみて、わかったことをお伝えします。


真実の愛とは、無条件であること


真実の愛とは、無条件であること

「愛してほしいから、愛する」これは真実の愛ではありません。こう思ってしまっている時点で、その人は、相手から愛される、という見返りを求めてしまっているからです。真実の愛とは見返りを求めないことなのです。愛する誰かのために、何かをしてあげたいと思い、実際にしてあげる。もしその相手がたとえ振り向いてくれなくても、それはそれで構わないと思っている心こそ、真実の愛なのではないでしょうか?

単純であるようで、難しいことだと思います。無条件に誰かを愛した経験のある人は少ないかと思います。特にもともとは赤の他人であった恋人や夫婦にはハードルが高いかもしれません。相手のことが好きでたまらない時、相手に恋をしている段階ではまだまだ真実の愛には遠いのです。片思いの時は、自分に振り向いてもらいたいと必死に相手にアプローチしたりしますよね。その時アプローチとして相手のためにしてあげることは、裏を返せば、もっと自分を好きになってほしい、自分を見てほしいという気持ちが少なからずあると思います。ですが、始めはそれでいいのです。そんな恋心を終え、長年一緒に生活するうちに、自分たちにも気づかないうちに相手を無条件で愛することが自然とできるようになっていることもあります。

時々道を歩いていると老夫婦が手を繋いで歩いている風景を見かけます。彼らには何とも言えない温かさを感じます。


真実の愛とは、絶対的な安心感


真実の愛とは、絶対的な安心感

小さな子供の頃、まともな親が育ててくれていれば、親に絶大な安心感を感じると思います。ひとりでは何もできない赤ちゃんも、お母さんのそばにいれば絶対的な安心感を感じ、すやすやと無防備に眠ることができますし、大声で泣き叫ぶことができます。

真実の愛とは、絶対的な安心感を感じることです。誰かを好きな気持ち、恋をしている時は相手の顔色をうかがってしまいますよね?「こんなことをして嫌われないだろうか?」「こんな自分じゃ相手にはふさわしくないのでは?」と不安を感じてしまうのが片思いの時。そして付き合ってからも「彼は私に隠れて浮気しているのでは?」とか「彼は私が彼を好きなほど、私のことを好きじゃないのでは?」などと疑心暗鬼になる人もいるかと思います。

真実の愛には、そんな疑問感や不安感はありません。愛し合うもの同士お互いを完全に信頼しきっている状態です。相手に疑いを感じることがないのでお互いを束縛したり詮索することもありません。そんなことをしなくても、真実の愛があれば、心配する必要などまるでないのです。


真実の愛とは、人を許す心


誰かにひどく裏切られた時、誰かにひどく傷つけられた時、それを許すのは難しいことです。必ずしも許さなければいけないわけでもありません。ですがそれを許した時、そこに真実の愛があるのではないでしょうか?

生きていく上で、私たちは様々な困難に捕まってしまいます。理不尽な悲しみが襲うこともあるでしょう。ですが、そんな時どうしたらいいのでしょうか?一生悲しみ、憎しみ、恨みながら生きていきますか?そんな生き方には真実の愛はありません。許しがたいことに直面した時、それをすぐに許すことができる人などいないでしょう。ですが、少しずつ理解しようと受け入れていくことが真実の愛につながるのです。

人は誰でも間違いを起こします。今ひどく傷つけられている人も、過去や未来に自分がだれかを傷つける側の立場になることもきっとあるでしょう。そんな間違いを理解しようとし、話し合い解決に向けて心を合わせていくことこそが真実の愛なのです。


真実の愛とは、相手の幸せを思う心


心の底から幸せになってほしいと思う人はいませんか?そう思う心こそが真実の愛への始まりかもしれません。どんな人でも自分が幸せになりたいと思います。そして自分が幸せな時、その時不幸である人のことに思いを馳せたりはしないでしょう。ですが、それが真実の愛がある相手であれば別だと思います。自分が幸せでもその相手が不幸ならば完全に幸せにはなりきれないのです。相手の幸せがあってこそ、自分自身も幸せを感じることができるのです。

難しいようですが、実は簡単な話です。例えば、何かものすごく美味しいものを食べていたとしましょう。今まで食べたこともないくらい美味しいものです。一口食べただけで幸せを感じることができるようなものです。そんなものを口にしたとき。まず、「美味しい!幸せ―!」と思いますよね。そしてその時こう思うことってありませんか?「ああ、こんな美味しいものをあの人にも食べさせたい!」と。そう思う気持ちこそが真実の愛への入口のように思います。


真実の愛とは、人によって違う


これまで、真実の愛についてわかったことをお話ししてみましたが、真実の愛とは人によって違うのかもしれません。世の中にはたくさんの人がいて、たくさんの愛し合う人たちがいます。その愛し合う人たちがすべて真実の愛を持っているとは限りませんが、愛し合う人の人数分だけ、真実の愛の形はあるように思います。

「るろうに剣心」という漫画があります。アニメや映画にもなったり、最近では宝塚版も上演されるという事で、ご存知の方も多いでしょうね。この漫画の中で、剣心の敵として現れる志々雄誠というキャラクターがいます。そして彼を愛する駒形由美というキャラクターがいます。この二人に真実の愛について考えさせられるシーンがあります。志々雄誠が剣心に負けてしまう!という時に、この由美は志々雄と剣心の間に割って入ります。そして、剣心が油断した隙に志々雄の刀が由美を貫き、剣心へと届き、剣心へ致命傷を与えるのです。そんな志々雄に剣心は怒り、批難しますが、逆に由美は「志々雄様の役に立てて嬉しい」そういって亡くなっていくのです。志々雄としてもそんな由美の気持ちがわかっているようでした。このシーンについては賛否両論あると思いますが、とても美しいシーンであり、真実の愛について考えさせるものである事には間違いがありません。

由美は自分の命を亡くしてまで愛する人の役に立ちたかった。これは無条件な愛であることに違いはありません。愛について、それが真実の愛であるかどうかというのは、第三者が判断して良いものではありません。それは当事者にしか判断することのできないものであり、人によって形が全く違うものなのです。

いかがでしたでしょうか?真実の愛、それは人類永遠のテーマです。答えは誰かが持っているものではなく、人々がそれぞれに思いを馳せ、考え見つけていくものなのかもしれませんね。

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