代々木忠がAV監督になったきっかけとは?|生い立ちや結婚について徹底調査

代々木忠がAV監督になったきっかけとは?|生い立ちや結婚について徹底調査

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コタロー編集チーム
エロ漫画・アニメなど、オタク趣味のディレクターとライターで構成されたチームが作品の隅々までレビュー。軽いエロからハードエロまで、シコれる作品を紹介していきます。基本的に好きな作品や、シコネタのルーティンになっているオススメばかり!コミケ参加は不可欠で新刊チェックも日々行っています。
女性の心の奥をのぞきこみ、淫乱な姿をさらけ出させるAV監督・代々木忠氏。彼の作り出すAVは100本を超えるシリーズになるものもあるほど、熱狂的なファンを獲得しています。そんな男性も女性も魅了する代々木忠氏ですが、一体なぜそんなにまで人を惹きつけるのか気になりませんか? 今回は、代々木忠氏の生い立ちを探ることで、彼の持つ魅力の源泉を明らかにしていきます。


代々木忠とは




1938年3月18日、代々木忠氏は福岡県小倉市に生を受けました。幼少期は母親の死や父の売春宿経営など数奇な体験をしています。高校は中退し職を転々、29才までは暴力団の組員として生活しました。彼に転機が訪れたのは1963年です。

映画の世界に惹かれ、ワールド映画の助監督として映像の世界に入ったのです。ただ、1972年にプリマ企画において渡辺忠名義でプロデュースした「女高生芸者」で猥褻容疑をかけられ裁判沙汰になってしまいます。これは不起訴で事なきを得たのですが、実に10年近く裁判に追われることになりました。

この間の1972年、「ある少女の手記・快感」で監督デビュー。その後、スケバンシリーズで一躍有名に。代々木忠という名前を使い始めたのもこの頃ですね。1976年にはにっかつの下請けとしてワタナベプロダクションを設立。1981年に「淫欲のうずき」でAV監督デビューを果たし、アテナ映像を設立します。

1982年に「ドキュメント・ザ・オナニー」で大成功。その後もヒット作を出し続けます。自分の半生を映画にした「YOYOCHU SEXと代々木忠の世界」では世界的にも有名になりました。

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代々木忠がAV監督になったきっかけを徹底調査




代々木忠氏が映像畑に入ったのは前述したように1972年です。また、初監督をしたのは1972年。彼がAV監督としてデビューしたのは、愛染恭子主演「淫欲のうずき」が制作された1981年といわれていますが、実際のところAV監督になったきっかけは、本人としてもあまり意識していないようです。

別にAV監督なんて名乗ってるわけじゃなくて、外野がそう呼ぶから、そうであるだけです。監督は監督ですからね。だからもう最近では、名刺にも肩書きなんて書いてないんですよ(笑)。
引用:日本製のみの市


周囲の人間がAV監督だといっているだけなので、自然にそうなっていたという見方がよさそうですね。ただ、初AV監督作品となった「淫欲のうずき」が作られたきっかけはあったようです。愛染恭子といえば、本番行為をした映画で知られる「白日夢」が有名。みなさんの中にもご存知の人がいるかもしれません。

当時親しかったカメラマンに、彼女で一本撮ったらどうかと言われて、撮ったのが『淫欲のうずき』
引用:日本製のみの市


知り合いからの勧めがあったようですね。また、当時はビデオの時代が来るという流れがあったようで、そういった背景もあり、AVとして作られたようです。そのため、代々木忠氏がAV監督になったきっかけがあったとすれば、それは時代の影響や彼の築いてきたキャリアなどが複雑に絡み合った結果といえるのかもしれません。

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代々木忠はどこの学校卒業?


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代々木忠氏は、福岡県立小倉南高等学校の定時制を中退した経緯があり、それが最終学歴になっています。小倉南高等学校は昭和24年に開校。創立70年近くになる歴史ある学校です。住所は北九州市小倉南区富士見一丁目9番1号であり、代々木忠氏も当時はこの近辺に住んでいたことが想像されます。英語コースのある進学校であるため、代々木忠氏の知的な一面はこの学校で育まれたのではないかと感じられます。


代々木忠は結婚してる?




代々木忠氏は、ピンク女優であり映画プロデューサーでもある真湖道代氏と結婚しています。1967年に結婚したといわれており、そのとき真湖道代氏は17才。当時としては珍しい年齢とはいえなかったものの、真湖道代氏はデビューしたてということもあり、いくらか話題になりました。

17才との結婚は、今でこそ稀少であり、うらやましいと感じる人も少なくないかもしれません。真湖道代氏は、数々の作品で素晴らしい女優として活躍した後、映画プロデューサーとして活躍の場を移しており、代々木忠氏にとって最良のパートナーだったといえるかもしれませんね。




当時の真湖道代氏の画像ですが、非常に美しい。こんな素晴らしい女性と夫婦の関係であんなことやこんなことができれば、そりゃ素晴らしいAVも作れるものだと感じるかもしれません。これだけ美しい女性の若くて瑞々しい体を堪能できたのは、うらやましい限りですね。


代々木忠は子供はいるの?





 13年前、同じ町内で引っ越しをし、家を新築した。上の娘が結婚しても一緒に住めるようにと、部屋数もそれなりに用意した。だが、娘が選んだ相手は一人息子で、ゆくゆくは向こうの親御さんと同居するからと、結婚と同時に家を出た
引用:週刊代々木忠


代々木忠氏の想いが綴られるブログ「週刊代々木忠」によれば、代々木忠氏には娘が二人いるようです。表立って話題になることがないのはご存知の通りですので、芸能とはあまり関係のない人生を過ごしているのかもしれません。二人の娘は結婚しており、このブログが書かれた時点では、次女夫婦と同居生活を送っていることが分かります。


代々木忠は波瀾万丈の人生を歩んだ大監督だった





代々木忠氏というとAV監督としてのイメージが強かったかもしれません。しかし、今回明らかにしたように、実は映像全般の監督として素晴らしい実績と評価を得ている人物なのです。また、本人が歩んできた人生は波瀾万丈であり、その深みが数々の作品に生きて、強烈なリアリティーを作っているのではないかと感じました。人間の汚いところもキレイなところも見てきた代々木忠氏だからこそ、人の心の奥底にある情念を捉えた作品が作れるのかもしれません。

以上、panpan(パンパン)編集部からのお届けでした。


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