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AV女優「持田薫」のデビュー前から現在までを丸裸に【2019年最新版】

AV女優「持田薫」のデビュー前から現在までを丸裸に【2019年最新版】

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往年の巨乳AV女優というと誰を思い浮かべるでしょうか?今でこそ珍しくありませんが、ひと昔前はバスト90センチというと国宝級の扱いを受けたものです。今回は1990年代を代表する巨乳AV女優・持田薫(もちだかおる)さんをご紹介します。単純にプロフィールを検索するだけでは知ることのできない、秘蔵エピソードもまとめました。懐かしく感じるファンの方だけでなく、若い男性の方にもぜひオススメできるAV女優さんですよ!


AV女優「持田薫」のプロフィール




生年月日 1976年3月20日
出身 東京都
スリーサイズ B:90cm(Eカップ),W60cm,H88cm (1995年時点)
女優タイプ 巨乳美女
総出演本数 51本
受賞歴 無し
現在 引退・詳細不明

持田薫さんは、身長が160センチで、血液型はAB型です。小柄なカラダに不釣り合いな巨乳と巨尻、そしてやや釣り上がった目が特徴の顔立ちをしています。当時の愛称は「もっちー」です。ELTの持田香織さんがそう呼ばれるほんの少し前(デビューでいうと約1年前)に、実は持田薫さんが先取りしていました。

性格はとても明るく、人懐こくて可愛らしいです。元ベテランAV男優の日比野達郎さんは雑誌のインタビューで彼女のことを「触り心地のいいオッパイとお尻」「よく濡れる、よく感じる」「とっても面白い、楽しい女の子」とベタ褒めしました。

最大のセールスポイントであるおっぱいですが、垂れ気味でとても柔らかいものをお持ちです。乳輪は色素が薄く、やや大きめ。サイズはCカップと記述されているサイトやプロフィールもありますが、実際はEカップだそうですよ。一説にはFともGともいわれます。それくらいのボリューム感です。

同じバストのタイプでいうと、彼女より少し後の2000年代に活躍した「彩名杏子」ちゃんも垂れ気味の巨乳がウリでした。ぶるんぶるん揺れるおっぱいは「天然巨乳」とも呼ばれ、多くの男性がそそられたものです。


AV女優「持田薫」の重要トピック5選|デビューから現在まで

ここからは持田薫さんの経歴を一挙にご紹介してゆきます。AVデビューのきっかけから、人気を博し、それから引退するまで。シンプルでありがちな経歴にはなっていますが、驚きの後日談もあります。ぜひ最後までご覧くださいね。


1995年「『水城久美』名義でAVデビュー」

持田薫さんは1995年中頃、企画女優「水城久美」(みずきくみ)としてAVデビューしました。

デビュー以前は信用金庫に勤めるOLでしたが、高校の同級生だったAV女優「愛川みな」さんに誘われ、業界入り。同年6月10日にリリースされた「婦女専用捕虜収容所 監獄レズビアン」が記録上最も早く発売された作品、ようするにデビュー作といわれています。こちらの作品は現在DVD化もされておらず、配信もされていないのでVHSのみが出回っているだけという非常にレアなAVです。

それから7月25日に「女と女の愛欲をむさぼる60日 あいのじごく」、8月10日に「家出娘洋子の肉体に群がる男たち」と立て続けにリリースしました。




ちなみに当時の水城久美名義の作品はほとんどがヘンリー塚本監督の作品です。名前くらいは誰でも聞いたことがある、昭和から平成を代表する名監督ですよね。

水城久美名義では1995年12月10日リリースの「女子大生由美子19才 愛と性欲のアパート」まで活動しています。大全集がその後数本リリースされました。

1995年にながえ監督は『女子大生由美子19才 愛欲と性欲のアパート203号室』(FAプロ)で監督デビューするわけですね。
引用:スカパー!アダルト


この作品の監督は、ヘンリー塚本さんの弟子である「ながえ」(当時の名前はジョージ長井)監督のデビュー作でもあります。ヘンリー塚本監督の元で有望なAV女優はもちろんのこと、次代を担うAV監督も育てられたのですね。




時期がやや前後しますが、「YUMIKA」名義で1995年7月23日に「乙女っ娘倶楽部vol・1」をリリース。こちらは完全に企画モノAVですね。メーカーは「ビッグモーカル」で、現在でもメーカーの公式サイトで配信購入することができます。

続く9月30日に「水城久美子」名義で、大手メーカー「宇宙企画」の作品「原色VIDEO図鑑 女教師CLUB 7」に出演されました。




こちらの共演女優は「藤井なぎさ・水谷弥生・入江香保子・藤森加奈子」です。中でも当時すでに人気AV女優だった藤森加奈子さんが、持田薫さんと後々深く関わってきます。そちらは引退後のエピソードとして後述しますので、ぜひご覧ください。


1996年「『持田薫』に改名し、再デビュー」




様々な名義での活動後、彼女は「持田薫」と改名。1996年4月27日に老舗AVメーカー「KUKI」(九鬼)から「恥じめまして!!」で再デビューを果たします。

以前までは企画女優、この時点から企画単体(キカタン)女優に転身。90センチオーバーでEカップの柔らかバストは、今でこそありふれたサイズですが当時はまだ少なく、国宝級に評価されたものです。明るい性格と笑顔、もっちーの愛称であっという間に人気女優となりました。




「持田薫」名義でリリースされた単体作品は20本前後です。全てがDVD化や配信されているわけではないので、貴重な作品も中には数多くあります。




AVの他にオリジナルビデオにも多数出演。「ラブホテルの夜」「風俗の鉄人 2 素股天国・制服天国」「OLの性 4 復活」「淫撮グラフティ」など、AVほどあからさまなカラミはないですが、エッチなシーンが満載のマニア向けビデオもリリースされました。


1997年「SM系に転身し、世界中で人気に」

単体デビュー後、高い人気を誇った持田薫さんですが、1997年頃から作風に変化が見られます。それまでキュートなルックスと巨乳を全面に押し出した作品であったのに対し、だんだんとハードな路線に移行してゆきました。

きっかけとなったのは1997年3月に発売された写真集「美少女SM vol.5」です。緊縛グラビアとも呼ばれたこの写真集には、彼女の豊満なボディが縄や鎖などで縛られた姿が多数掲載。表紙は髪を三つ編みにし、ピンクのカーディガンを着た彼女が正面を向いています。一見はSM写真集と思わせないのも一つの仕掛けとなっています。

「これをエロ写真と呼ぶか、芸術として見るか?一世を風靡した美少女SM写真集!」

石原めぐみ・新堂有望・藤原史歩・小森まみ・麻生早苗・三浦あいか・流星ラム・平沙織・中谷あいみなど昭和の後期から続いた杉浦則夫氏による美少女緊縛写真集です。縄は麻来雅人氏が担当しています。

このシリーズ麻生早苗以降、単なるエロ写真とは別格扱いで海外のSMサイト、SM専門ニュースグループA.B.P.E.Bに何十回となくポストされ杉浦則夫氏の存在が一躍、世界に知れ渡りました。
引用:boukidou


上記されたように、この写真集がリリースされたことで日本の縄縛りを始めとするSMが世界中から注目を浴びます。持田薫さんの名前も同時に知れ渡りました。

自分のモッチーエピソードは、某雑誌のテレホン・デートがあった時
偶然繋がり話す事ができました。
あのSM写真集について、モッチーは打合せ当日まで知らなかったそうです。
打合せの場所で、初めて内容がSMと知ったけど、
断れる雰囲気ではなく、そのまま話が進んで撮影になった、と教えてくれました。
引用:2ちゃんねる


2ちゃんねるの掲示板内に、持田薫さんと接点を持ったというファンの方の書き込みが残されています。テレクラの企画で彼女と電話をし、写真集が半ば強引に進められたことを明かしていますね。ですが結果としては世界的な人気につながったので、一方的な強要とも言いきれません。

写真集が話題となったことにより、後に制作されるAVもがらりと雰囲気を変えます。「人間廃業」「奴隷病棟」「奴隷女教師」など、ハードな作品に多数出演。レイプや複数人相手などのシチュエーションから、プレイも緊縛やロウ責めなどSM要素の高いものに変わりました。

ハード路線に転向するAV女優は現在でも多くいますが、単体で数十本リリースされた女優がSMに転向した例は珍しいといわれます。初期の作品と比べると同じ女優とは思えないほどの変貌ぶりでした。


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