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厚生省公衆衛生局(当時)の調査によると、昭和30年代初めには、赤線地帯は全国1千カ所以上あり、店の総数も1万5千軒はあったとされる。
引用:AERA.dot
昭和33年4月1日の売春防止法完全施行をもって、赤線の灯はひっそりと消えたのである。5万人以上の女性が「職」を失ったといわれている。
引用:AERA.dot
売買春の料金は地区や店の格などによって異なるが、
「ショート」「お遊び」と呼ばれる15分程度のコースが500円前後、
「泊まり」が1000~2000円程度。
引用:NEWSポストセブン
玉の井の私娼の年齢は12歳から50歳くらいまでで、
17歳~20歳が一番多かった。
ほとんどが貧しい家の娘で、前借金によって売られてきたのである。
東北地方で冷害・凶作があると新顔の若い娘が増えた。
前借金の値段は5年契約で400円以下だった。大卒月給の8か月分である。
引用:赤線の女⑧ 管理売春の仕組み(玉の井)|しろみ茂平の話
ちょんの間は、戦後の混乱期を契機に、全国の主だった歓楽街に出没し始めた風俗店だ。その出自は、売春防止法施行前でいう青線(許可されていない売買春街)に属するものがほとんど。
引用:はまれぽ.com
電飾輝く、歳末の歓楽街。
いつもよりさらに眩く、人々を誘う…(札幌・すすきの) pic.twitter.com/o9cuMPz5Go— 精神科医 Dr.Snowman(9さい) (@doctorsnowman05) 2017年12月14日
このクソ暑い中、
汗だくで吉原赤線跡探訪してるんだけど。
ここが吉原大門のあったところか。
映画「吉原炎上」で、オープニングで芋臭い田舎娘の名取裕子が中に入り、
超絶垢抜け美人になって花魁道中の後、小林稔侍に身請けされて出て行った門のあったところだな( ˘ω˘ ) pic.twitter.com/pZGIne3mOT— 坂巻マキ 中野テクノブレイクのしゃっちょ (@sakamaki_maki) 2017年7月2日
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