日本最古のアダルトグッズ「張形」とは?

日本最古のアダルトグッズ「張形」とは?

16,436 views

この記事を書いた人
テクニックで愛される
ピースフルえりこ
大人の恋愛小説や映画に刺激され、実生活でもスリルと興奮を求める女子ライター。元々は小説家志望でネタ探しも兼ねて自分でいろんな恋愛やセックスを試してましたが、その経験はpanpanのコラム記事で活かされることに。最近は妄想を膨らませる一人エッチにもはまっており、女性向けラブグッズのレビュー記事も書いています。赤裸々な私の本音を届けます。
皆さん張形(はりかた)というものを聞いたことはありますか? 張形は日本最古のアダルトグッズであり、なんと大奥でも使われていたものであるという文献もあります。その張形についてどのようなものでどう使われていたのかを説明します。


張形とは何か


張形とは、女性のための自慰行為グッズ…つまりオナニーの道具ですね。男の性器の形をしていて、似たような硬さと同じくらいの大きさの牛の角や青銅でできているものです。現代ではディルド(dildo)またはコケシの名称で未だに大人のおもちゃとして人々に使われています。このコケシは木彫りなんかで作られているのが主流ですが、現代の張形の中にはバイブ式のシリコン製のものまであります。(昭和46年に発売された「熊ん子」)




「バイブ」ではなく、「民芸郷土人形」です。民芸郷土人形……

張形のルーツは中国とされ後宮で使用されていたとありますが、いつ誰が作ったのかなどの細かいことは未だに確かとされていません。ただ間違いなく言えるのは今も昔も女性の性欲が強かったことと。性に関して昔から人は工夫していたのでしょう。


張形の歴史





はっきりした起源は不明なのですが、石器時代にもこの張形のような石棒があるという説もあります。基本的に勃起しなくなった権力者のために作られたという説や、処女の女の子にセックス前に使わせることによって出血を紛らわすために使用されたなどという説も…日本に残る最古の張形のはっきりした存在は飛鳥時代からとされています。

しかしオナニーグッズとして使われだしたのは鎌倉から平安時代にかけてで、男性が女性に対してつかっていたようです。江戸時代になると大奥や庶民の間で欲求不満の女子の間では主流になります。この時代になるとアダルトグッズはかなりの種類があったことが分かっていますし、女性だけではなく男性のアダルトグッズとしておしりの穴にいれていたとも言われています。

そんな昔からアダルトグッズが存在していたというのは驚きですが、時代を遡れど同じ日本人。感じることや考えることは今とそれほど変わらなかったのかもしれませんね。


張形の種類


張形の種類も多種多様で、高価なものだと水牛の角で作られた物やべっ甲製のものがあり、中が空洞でお湯につけると柔らかくなるものなど。他のも青銅などで作られたものや双頭のものまで…もちろん木製のものもありますし、珍しいものは革製まであります。この張形の双頭のものは大奥で使われていたという諸説があり、細工も見事に男性のペニスに似せていたとのことです。

形もたくさんの種類があり、「しゃちほこ」「頼朝がた」「間男がた」など女性の興奮をかきたてるようなネーミングセンスのものが多々あり、中でも「上品(しょうぼん)」というものは太く上反りで、高級品として出回っていたそうです。これらの商品は「四ツ目屋※」という当時のアダルトショップでも販売されていましたが、中には訪問販売もあったそうです。

※四ツ目屋とは
四目屋(よつめや)は、江戸時代、江戸両国にあった、長命丸、帆柱丸、などの媚薬、肥後ずいき(ずいき)、牛角などの淫具などを売った店。日本最古のアダルトショップと云われる。
店頭の招燈には黒地に四目結(よつめゆい)の紋所を染め出したものをかけていた。イモリの黒焼きの元祖といわれ、『通詩選諺解』には同家の祖先が明応年間、長崎にわたり、その後、寛永年間、江戸で売り始めたとある。

引用:Wikipedia


アダルトグッズだけでなく、それを扱う専門のショップもあったとは、さすが江戸の街はスケールが違いますね。


張形と江戸時代の女


なぜこのような張形が大奥で使われていたのかというと、最大3000人という女性がいる大奥で将軍と「伽(とぎ)」がすごせるのはほんのひと握り。そんな中でやはりセックスが好きだという人がいてもおかしくはありません。また、30歳になっても未だに伽が過ごせない女性たちのために儀式の一貫として使用されていたという文献もあります。

また、江戸時代の女の人は性に対して大変おおらかであったようで、セックスやオナニーは当たり前の時代背景がうかがえます。特に江戸時代、大奥意外にも真面目な後家や大名の妻は旦那がいなかったりすると自分でオナニーすることが多く、「張形で補っておくかたい後家」や「値次第で45本いると長局」という張形の川柳が詠まれたほどでした。

町の女の子ももちろん張形は使用していました。この時代は結婚するのが15才前後であり、嫁入り前にセックスが待ちきれない女も使用していて「あらばちを割る」のはもったいないことだとも言われれいます。あらばち(新鉢)=処女膜であり、江戸時代からこの処女を捧げるというのは男性にとっても神聖なものとされていたようです。

それでも嫁入り前にほとんどの人が張形をつかっていたとうから江戸の女性は性に対しても興味がすごかったのでしょう。


張形をつかったオナニー方法


まず初めにマンコを優しく50回なで、胸を100回触り濡らしていきながら張形を浅く300回ほど抜き差しします。ビショビショニマンコが濡れたら今度は奥の方にいれて200回抜き差しし、またさらに強く大きく深く浅くを繰り返し計200回ほどお尻を上下に動かして抜き差しします。そして、片手の動きとおしりの動きを早めてまた胸をさわり、肛門をきゅっとしめて張形が入りっぱなしのマンコから溢れる液を指ですくいなめます。

10回に一回はクリトリスを刺激するため張形をあてて300回ほどピストン運動をすると音がでるほどマンコが濡れ、さらに奥の方に張形をいれて股をしめ、お尻に力をいれれば噴水し、気が遠くなるとあります。おそらくこの噴水=潮かと思われます。また、女性からでた精液は体にいいので飲むべしとも言われています。

江戸時代、殿や武家など後継を生むことがとても大切にされていました。そのため、このように張形をつかって奥女中が奥方に手ほどきをすることもあれば、殿や若の勃起の手伝いや正確に膣に入るように間にはいったり複数の女性が手伝うこともあったそうです。


以上が張形についてです。現代の女性からするとこんなにも堂々とセックスやオナニーがされていたことは考えられないかもしれません。江戸時代の女性は子供を授かることが役目とされていますので、当時は男性より女性のほうが性欲が強かったとも言われています。

しかし、いつの時代でも人間はエッチなことが好きだったようですね。最近は、張形を使って緊縛された女性(女囚)を責めるアダルト動画などもありますが、そのルーツは遥か昔まで遡るというのは、なんだか感動すら覚えてしまいますね!(笑)

以上、panpan(パンパン)編集部からのお届けでした。

○関連記事
江戸時代の驚愕の避妊方法6選(魚の浮き袋コンドームなど)
【伝統の変態】江戸時代の粋な「愛撫」 5選

\ この記事をシェアする /

関連キーワード


TOPに戻る