AV女優「麻美ゆま」のデビューから引退の裏話までを赤裸々に紹介【永久保存版】

AV女優「麻美ゆま」のデビューから引退の裏話までを赤裸々に紹介【永久保存版】

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この記事を書いた人
孤高のAVソムリエ
桜小路すばる編集チーム
小3でオナニーを覚え、河原で拾ったエロ本でヌキまくる少年期を過ごす。生まれながらのコミュ障体質が幸いし、青年期も彼女よりAV好き。20年来のAV鑑賞歴を活かすため、panpanでAVレビューを中心に執筆してます。最近はVR作品にドハマリ中。別名義でDMMレビューも書いてます。

一部では「AV女優はセックスをするから自業自得だ」という意味不明な書き込みもあったそうですが、麻美ゆまさんの癌は遺伝や体質が原因です。まったくAVへの出演は関係ありませんでした。



2013年8月に治療を終え経過観察となった麻美ゆまさん。同年10月25日には京都府・東寺で開催される「Rock Best Cancer FES」と呼ばれるチャリティーライブの主催から、出演以来が届きます。最初は見にいくだけのつもりでしたが、当日ライブではゲスト扱いになり思わぬ復帰を果たしました。

予定では年末を予定していましたが、想定よりも早く復帰してしまったので「やるしかない!」と練習やトレーニングに励む力をもらえたのです。そして休止期間を終えた麻美ゆまさんはついにデビュー前からの目標である、「海外留学」の夢を実現させます。

闘病生活を終えた麻美ゆまさんが「まず自分は何をしたいのか」を考えたとき、真っ先に思いついたのが「海外留学」でした。20歳までお金を貯めて引退後に留学するはずが、いつの間にか6年も月日が流れていたのです。

2013年11月にアメリカロサンゼルスに向かい、約3週間の短期留学を行いました。大病を患う瞬間は「さやか」に戻る瞬間がほとんどなかった麻美ゆまさんですが、留学中は「麻美ゆま」であることを忘れて存分にやりたいことができたのです。

生きている幸せを実感することができた麻美ゆまさん。5年間で再発しなければ完全に完治した「寛解状態」となり、再びガンを患う心配をせず普段通り生活が送れるようになると告げられます。退院後にやりたいことをやった麻美ゆまさんは、予定通り2013年末から「イベント・公演・ラジオ」などのお仕事を少しずつ復帰していきました。



主に自身の闘病生活を語ることで、同じ思いをしている方と共に残りの5年間を癌と戦って生きたいと考えていたのです。2014年からはファンに「もう大丈夫」ということをカラダで証明するために、セミヌードのグラビアに出演し報告しました。

2014年5月11日には東京都・新宿にある「福家書店新宿サブナード店 」で、麻美ゆまさん初となる自叙伝「Re Start~どんな時も自分を信じて~」の出版記念イベントが開催。以下の動画が発売イベントの様子で、ショートカットの麻美ゆまさんが本を手にファンの前で元気な姿を見せました。



自叙伝「Re Start~どんな時も自分を信じて~」では、麻美ゆまさんのデビュー前から2015年までの活動や心境について細かく記載されています。そのため当時の麻美ゆまさんが何を考え行動してきたのかが、全てわかる作品となっているのです。



そして2015年5月20日に2ndシングルである「Re Start〜明日へ〜」を記念して、リリースイベントを開催していました。イベントでは「恵比寿マスカッツ x 氣志團」の共同イベントで共に歌ってくれた、憧れの氣志團ボーカル・綾小路翔さんからサプライズメッセージが贈られたのです。

そんな麻美に向けて、綾小路からの激励コメントがサプライズで読み上げられる一幕も。「ゆまちゃん、RESTARTおめでとう。相変わらずロックな生き方だね。君が選んだのか、民が望んだのか、はたまた天が望んだのか、それは神のみぞ知ることだろうけれど。ワクワクして、ヒヤヒヤして、ドキドキする君の人生。俺は見届けるぜ。友人として、ファンとして、ライバルとして。またステージで再会できる日を楽しみにしています」という言葉に、麻美の目には大粒の涙があふれる。
引用:シネマトゥデイ (麻美ゆま、感涙!氣志團・綾小路翔が再スタートに激励のメッセージ!)



麻美ゆま、感涙!氣志團・綾小路翔が再スタートに激励のメッセージ! 引用:上記同様

闘病生活からくる孤独感や不安感に思い悩み、一時は逃げ出すことも考えた麻美ゆまさん。しかし逃げ出すことなく経過観察まで頑張った麻美ゆまさんにとって、綾小路翔さんからのメッセージは最高の贈り物だったことでしょう。麻美ゆまさんは「生きててよかった」と涙ながらにコメントしていました。

そしてイベントでは改めてAV女優を引退すると発表。麻美ゆまさんは引退の理由について自叙伝で綴っており、「傷を消すことは自分に嘘をつくことに繋がる」「しかし傷を残したままAVに出演すれば、ファンにエロ以外の感情を与えかねない」として引退について綴っていました。

引退後については闘病中に辛い思いや寂しい思いをした経験を活かして、パフォーマーになりたいと語っています。周囲に支えられた麻美ゆまさんは、「今度は自分が元気を与える番だ」と考えたようですね。

自叙伝の最後には「麻美ゆまになれて、本当に良かったです。」と綴り締めくくっていました。AVデビューしたことに、微塵も後悔していない様子が伝わってきますね。こうして麻美ゆまさんは10年にわたるAV女優生活に幕を下ろしました。


AV女優「麻美ゆま」のプライベートエピソード集6選

2005年にAVデビューし、「恵比寿マスカッツ」のリーダーや歌手としての経験をした麻美ゆまさん。本項目ではそんな麻美ゆまさんについて、家族のことなどプライベートな内容についてご紹介します。

「麻美ゆま」の部分についてご紹介したので、次は「さやか」の部分について見ていきましょう。

実家は日本初のフィリピンパブを経営していた

麻美ゆまさんが生まれたのは、群馬県高崎市JR高崎駅の近くにある3階建ての一軒家。都会と田舎の間のような場所でした。一軒家の1階は父が経営するフィリピンパブ「ニュードリーム」の店舗として利用し、2階・3階で暮らしていたそうです。

父はフィリピンに仕事で行く機会が多く、「フィリピンのお偉いさんと知り合い」であることをお母さんから聞かされていました。人脈があったためか父の経営はうまくいき、新しく「ジョイ」「マカティ」という店名のパブを開店。日本で最初のフィリピンパブを経営していたこともあり、父の商売はみるみるうちに繁盛していったそうです。

生活に不自由しない家庭に育った麻美ゆまさん。家族構成は父・母・姉・兄を含めた5人家族で、姉と兄は母の連れ子でした。父と母が結婚し生まれたのが麻美ゆまさんだったのです。そのため父は麻美ゆまさんに甘く、姉や兄には人がわかったように冷たくしていたのだとか。

麻美ゆまさんは大人になった今でも、父が姉や兄に怒る姿は忘れられないと語っていました。少し複雑な家庭で育った麻美ゆまさん。麻美ゆまさんが小学生高学年に上がった頃、仕事が夜遅くな父を気遣った母が別居することを提案します。

父はパブがある家に残り、母・兄・麻美ゆまさんの3人はマンションを購入し引っ越しました。姉はすでに家の近くで一人暮らしをしていたため、一緒に暮らしていません。姉は10歳・兄は7歳離れていたため、18歳を過ぎた姉が一人暮らしをしていても不思議ではありませんね。なにより父は姉や兄に厳しかったため、姉は「早く家を出たい」という気持ちが強かったのでしょう。暴力まで振るわれていた姉や兄にとって、父のいる家は気の休まる場所ではなかったと思われます。

3兄弟の関係は良好で、ご存知のとおり姉とはグラドル時代に同居していました。AVデビューすることになれば、「自分の貯金を全て渡すからやめてくれ」と止めてくれるほどです。そして兄は身長180cmと体格がよく、妹である麻美ゆまさんとはよくバドミントンなどをしていました。

しかし父が姉や兄に振るった暴力が原因で、後に最悪の事態を引き起こします。どうして父が姉や兄に強く当たるのか、事実を知ったのは20歳でパスポートを更新したときのことでした。戸籍を初めて見た麻美ゆまさんは、そのとき初めて「姉と兄は血が繋がっていない」という事実を知ったのです。

こうして20歳の麻美ゆまさんは、父の態度の真実を知ることになりました。ちなみに麻美ゆまさんが22歳のときに父は癌で亡くなっています。麻美ゆまさんが癌を患ったのは父の遺伝だったのかもしれませんね。

中学生時代のあだ名は「エフ」

中学生時代の友達から成人後も「エフちゃん」と呼ばれることになる、中学生時代の麻美ゆまさん。中学時代器械体操部に所属していた麻美ゆまさんは、当時巨乳だったにも関わらずブラをしていませんでした。

そして器械体操部だった麻美ゆまさんは先輩から、ノーブラはよくないと指摘され一緒に採寸しに行くことになったのです。その場でFカップと判定された麻美ゆまさんは、想像以上で思わず笑ってしまったのだとか。

しかし笑っていられたのもその日のうちでした。先輩が言いふらしたためか、学校中から「Fカップの子」といわれるようになったのです。そして運動部の男子からは、油断していると揉まれるというセクハラを受け始めます。

楽観的な麻美ゆまさんなので、怒ることすら馬鹿らしくなり都度反撃するなどして受け止めていたそうです。あまり良い思い出とは思えませんが、「AV女優麻美ゆま」さんにとっては「プライベートな自分に戻ることができる唯一のあだ名」となるのでした。

ちなみに麻美ゆまさんはその後もおっぱいが成長し続け、高校生時代にはHカップになっていたそうです。

初体験は中3!地元で有名なヤリチンとカラオケで痛々しいセックス

中学生時代からFカップもあった巨乳少女麻美ゆまさん。初体験は中学3年生のときで、相手のあだ名は「タケちゃん」でした。容姿は当時大好きだったグループの「伊崎右典 (いざき ゆうすけ) 」さんに似ており、2歳年上の高校2年生だったのです。


惚れやすく一途な麻美ゆまさんは、ゲームセンターで見かけたタケちゃんにゾッコン。ちょい悪な雰囲気でヤンキーだったタケちゃんに声をかけられ、麻美ゆまさんは連絡先を交換しました。その後会うたびにスキンシップが激しくなり、挙げ句の果てカラオケで馬乗りになられレイプされてしまったのです。

逆らう力もなかったの麻美ゆまさんは、ただただ痛みに耐えるしかありませんでした。その後トイレに駆け込んだ麻美ゆまさんは、ショーツに血がついていることを確認し脱処女したことを知ったのです。

メンクイな麻美ゆまさんはイケメンなタケちゃんとは別れることができず、会うたびに痛みを伴うセックスをしながらも「セックステクニック」を学びました。相手は地元でも有名なヤリちんで、「エフちゃん」のときと同様に一瞬で噂になってしまったのです。

最低な初体験をした麻美ゆまさんですが、初めて男子と付き合ったのは中学1年生のときでした。当時の麻美ゆまさんはメンクイかつ恋愛体質だったため、学校のイケメン相手に片っ端から告白しその都度「ドキドキ」することを楽しんでいたのです。

そんな中付き合うことになったのが「モンちゃん」という男子で、モンちゃんとは手を繋いだり一緒に下校したりするだけで喜びを感じていました。そんなモンちゃんと夏祭りに行く約束をしていた麻美ゆまさんですが、当日に些細なことで喧嘩し行くことはありませんでした。

結局その後モンちゃんとは別れてしまったのですが、麻美ゆまさんは「別れたくない」と何をどのくらい話したのか忘れるくらい長時間電話していたそうです。おそらくモンちゃんは「重い女だ」と思ったのでしょう。関係が修復されることはありませんでした。

その後の麻美ゆまさんは恋愛体質が悪化し、告白されたらとにかくOKを出すような恋愛を繰り返していたそうです。軽く重い恋愛体質はAVデビューするまで続き、麻美ゆまさんは彼氏が途切れることはありませんでした。

後に自叙伝で恋愛について綴っていた麻美ゆまさんは、当時の恋愛体質について「実は歌手を目指しており、オーディションで落ちるたびに現実逃避する形で恋愛していた。」と綴っています。

高校は英語の授業以外退屈で中退|お酒やタバコにハマる

「エフちゃん」としてイケメン相手に片っ端から告白していた麻美ゆまさん。初体験を済ませた中学3年生のときには、塾などに通わせてもらっており「英検準2級」を取得するほど優秀だったのです。

勉強熱心で英語が特にできた麻美ゆまさんは、英語科がある高校に推薦で入学することになります。麻美ゆまさんは幼少期から英会話に通っていた経験から海外に興味を持ち、中学1年生の頃にはカナダへの留学していました。麻美ゆまさんの留学願望は、どうやら英会話教室に通っていたことがキッカケで芽生えていたようです。

そして高校に進学した後お母さんに留学費用を返済するため、求人誌で見つけた「ハンバーガーショップ」でバイトを開始します。ほぼ休みなしで夕方から夜まで働きづめだった麻美ゆまさん。たまにあるバイトの休みに友達と遊んでいたことがキッカケで、お酒やタバコを覚え始めてしまいます

夜遅くから明け方まで飲んだりしていたため、もちろん麻美ゆまさんの頭に「学校」のことはありませんでした。若気の至りで道を踏み外してしまい、学校にも午後から登校する機会が増え3学期には自主退学すると決めていたのです。当時からお母さんは「自分のやりたいようにやればいい」という方でした。

麻美ゆまさんは「学校をやめてお母さんに費用を返しながら、働いて留学費用を貯めた方が早い」と考えていたのです。当時の麻美ゆまさんは英語以外に興味がなく、次第に学校をサボるようになったのでしょう。こうして麻美ゆまさんは高校中退で働き、お金を貯めることにしました。

後にお母さんは「さやちゃんは1人で決めてすぐに行動するからヒヤヒヤしていた」と語っていたそうです。AVデビュー後にお母さんとの溝が埋まりお母さんのありがたみを実感したとき、麻美ゆまさんは感謝をしてもし足りなかったことでしょう。

統合失調症の兄が自殺

麻美ゆまさんには血の繋がっていない兄がいました。兄は妹である麻美ゆまさんに優しく、頼り甲斐のあるお兄さんだったのです。しかし兄は血の繋がっていない父から暴力を振るわれ、兄は次第に統合失調症のような症状が出始めました。

麻美ゆまさんが中学に上がる頃兄は引きこもりになり始め、麻美ゆまさん相手に冗談半分でプロレス技をかけるようになります。しかし徐々にエスカレートしていき、いつの間にか兄は麻美ゆまさんに暴力を振るうようになっていました。

最初のうちはまだ優しかった兄と暴力的な兄が精神的に共存していたため、冗談半分で暴力を振るっていたのでしょう。しかし完全に暴力的な性格に変わってしまった兄は、壁を殴ったり見えないものが見えるようになり始めます。

後に兄は統合失調症だと診断されるも、体調は戻ることがあり仕事に行く機会もありました。しかし2004年2月19日のこと。突然警察が自宅にやって来て、自宅隣の駐車場で兄がなくなっていると告げられました。バイト終わりの兄は屋上から飛び降り自殺をしていたのです。

麻美ゆまさんは母と姉に事実を伝えます。母は泣き崩れ姉は父に「弟が死にました。あなたのせいではありませんが、お葬式くらいは顔を出してください」と、冷たい言葉で報告しました。姉の言葉から当時も父との関係が良好ではなかったと伝わってきます。

その後生まれて初めて過呼吸になるほど憔悴しきった母を見た麻美ゆまさんは、バイトを大量に詰め込んで母を支えつつ留学の費用を貯めると決意しました。月30万円稼ぐほど詰め込みながらも、長期留学の資格である大検に合格したのです。大検は簡単のものではない上に、麻美ゆまさんはバイトを詰め込見ながらも合格しています。

麻美ゆまさんのエネルギーの高さや意志の強さが表れていますね。こうして兄を失った家族は再び別々の日常生活へと戻りました。

プライベートではAV女優蒼井そらさんと友好関係にある

麻美ゆまさんは蒼井そらさんと、プライベートでも友好関係にありました。「そらちゃん」「ゆまちゃん」と呼び合う仲で、癌を患った時も男前な言動で助けてくれたのが蒼井そらさんだったのです。

今回はそんな蒼井そらさんと仲良しであることがわかる、麻美ゆまさんのTwitterでのつぶやきをご紹介します。2019年5月には麻美ゆまさんが蒼井そらさんの出産を祝っていました。親友の祝い事を自分のことのように喜んでいることから、麻美ゆまさんと蒼井そらさんが仲良しであると伝わって来ます。


ちなみに麻美ゆまさんは、出産直後の蒼井そらさんとも写真を撮っていました。


こちらの写真では「元恵比寿マスカッツ」の同期が集まって、仲良く写真を撮っています。2019年5月現在となってはレジェンド級AV女優が集合しているように見えますが、麻美ゆまさんたちにとっては共に初期の「恵比寿マスカッツ」を支え盛り上げあってきたメンバーです。


蒼井そらさんと仲良しな麻美ゆまさんは、もちろん「蒼井そら15周年パーティ」に参加していました。お互いに出会った頃の話をして泣きそうになりながらも、楽しそうに談笑し盛り上がったのです。


こちらは2017年1月18日に麻美ゆまさんがリリースした、「SCAR Light EP」という曲のお祝いをしていたときのつぶやきです。ツイキャスで様子を中継しており、サプライズゲストとして蒼井そらさんが招かれていました。

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AV女優を引退した麻美ゆまの現在の活動
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